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【コラム#003】コロナ禍の夏、大好きなおばあちゃんが天国へと旅立った。

先日、私の祖母が天国へと旅立ちました。
3児の母が今回の「死」について色々と思うことがあったので、それを文章にしました。
上手くまとまっていないところもありますので、一個人の思いとして読んでいただけると幸いです。

コロナ禍で亡くなった祖母、最期に家族が立ち会えたのは奇跡だったのかもしれない

祖母は最期、施設に入っていました。

当初はコロナ禍のため面会は禁止。着替え等の荷物を持っていくときに少しだけ対面することが可能といった状態でした。

体が不自由になりながらも頭はしっかりしていた祖母も、家族と会えない中で脳梗塞が見つかり段々と認知症の症状が見られるようになっていきました。
こちらの話すことにうなずいたり、返事はしてくれるけれど、元気がなかったようです。
話好きだった祖母なので父も母ももっと話す機会があれば、祖母ももっと元気だったのではないかと悔いています。

そんな中、食事がとれなくなり点滴のみとなった頃から、突如面会可能になりました。
ちょうど亡くなる1ヶ月前のことでした。

これは施設側の配慮でした。
検温と消毒だけ済ませれば24時間いつでもだれでも来て構わないとのことでした。
そのおかげで私や子どもたちも祖母に会うことが出来ました。

裏を返せば、もう寝たきりでコミュニケーションもままならない状態にならないとこのコロナ禍では会うことは叶わなかったということです。

呼吸器をつけ、大きな声で肩を叩けば目は開いたので、出産後まだ見せていなかった三男も一応見せることはできました。
私が妊娠をしていたことは知っていたので(忘れてなければ)、ようやく報告出来ました。
かれこれ1年半以上会っていなかったので、長男が小学校に入学したことや次男も大きくなったことも報告しました。
祖母も口を開けて何かパクパクと動かしているので認識はしてくれたのだと思いますが、その思いを汲み取るのは難しかったです。

 

 

最期は痰が悪化し点滴を止めてから、約1週間で祖母は息を引き取りました。

 

父と弟が立ち会うことが出来たのは、コロナ禍においてはまだ良かったのかなと思います。

 

そんな祖母の最期に立ち会えた私の弟ですが、弟もコロナ禍の影響を受けた一人でありました。

東京で働く弟は2年以上、帰省をしていませんでした。

田舎では都会、特に東京から子どもが帰ってくることへの周りの視線が厳しく、特に母がピリピリしていたのを知っています。
私は年末年始に帰省をしていますが、田舎から田舎への移動だったこと、車で移動出来たために帰れたのだと思っています。
これが私もコロナの流行地域であれば、きっと帰ることは困難だったことでしょう。

今回もどのタイミングで弟を呼ぶか、どうするかについて思案しておりました。
弟自身もそんな田舎特有の冷たい視線を理解しており、自費にてPCR検査を行い陰性確認をした上で帰省してきました。

PCR検査キットも色々あるようですが、結果が出るのに半日ほどかかったようです。危篤状態だったら間に合いませんね。祖母が弟を待ってくれていたのかもしれません。

 

弟も私同様に、ここまで弱ってしまう前に会話が出来なくなる前に祖母に会っておきたかったという悔いは残ったようですが、最期の1週間は毎日通い詰めて弟は祖母を見守っていました。

 

 

憎きコロナではありますが、唯一のメリットといえば弟の仕事が完全にテレワークで行えたことです。
私も公務員の旦那も全く整備が整っていないアナログな組織にいるので、非常に眩しく映りました。
もう少し子どもたちが大きければ、テレワークで仕事をする姿を見せたかったですね。
(今時点ではどうしても騒いでしまうので、部屋に入らせませんでした。)

 

これからは家族葬がスタンダードに、希薄化していく人との繋がり

祖母が亡くなり通夜と告別式が執り行われましたが、家族以外の親族にとっては青天の霹靂の出来事でした。

祖母やすでに他界している祖父には兄弟がおりますが、皆高齢となり、コロナ禍もあって会う機会はトンとなくなりました。
私が幼かった頃には本家(長男宅)に盆や正月には集まり、皆で先祖の墓参りをしその後、カニやお寿司等を食べるといった風習がありました。
久しぶりに葬儀の際にお会いした叔父や叔母たちも皆、すっかり年老いたなぁとしんみりしたものです。
中には私の知らない間に亡くなっている方もいたくらいです。

父も祖母の件をほとんど話していなかったようです。
その理由は「言ってもコロナで会えるわけでもなく、何もやれんから、いらん心配させても仕方ないやろ」ということでした。

というわけで、祖母の死は家族と近しい親族のみだけが知ることになりました。
近所や生前親しくしていた友人(と言っても数年会ってはないだろう)には追々耳に入ることになるのでしょう。

大雨の中、祖母との最期のお別れは15人にも満たない人数でひっそりと過ぎていきました。

遠方に住む私も旦那も子どもたち3人も最期のお別れが出来たのは本当にこのコロナ禍においては奇跡でした。

長引くコロナで本来の「生」と「死」に触れる機会が遠のく

連日の報道等でコロナによってもたらされた悲痛な死を目にする機会は増えました。
しかし、その裏で日常にあった命の誕生と終幕は遠のいてしまったように感じます。

私は今年の2月に三男を出産しましたが、立ち会いも面会も禁止の中で孤独な出産となりました。
今も多くの妊婦が孤独だけど弱音を吐かずに新たな命を誕生させています。
本来であれば、家族や親族や友人がこぞって会いに来て、ふにゃふにゃで儚くも力強く生きようと泣き声をあげる小さな命に感動したことでしょう。

その機会もすっかり失われてしまいました。

新生児特有のふにゃふにゃさは一瞬で通りすぎ、すっかりムチムチに育った我が三男は長男や次男と異なり、まだ会えてない人がたくさんいます。

 

また、今回の祖母の死でも感じたのですが、親や祖父母たちの老いや衰えは確実に進んで体や脳を蝕んでいきます。
元気だったころの姿だけが記憶に残り、そこからアップデートする機会がなくなっているのです。

この数年は、後悔しないように祖母孝行をしてきたつもりでしたが、それでもやはり悔いは残りました。

12月にテレビ電話をしたときには元気だった祖母が、たった1回の骨折であっという間に容体が悪化。
まさかあれが最期の会話になるなんて思いもしなかったわけです。
年末年始のときにプレゼントしようと作った我が家の家族写真のキーホルダーが祖母の手に渡ることはありませんでした。

「まだ大丈夫だろう」「まだあと1年くらいは大丈夫だろう」そう思っている間にも、大事な人は確実に老いていくのです。

 

コロナ禍で周辺の移動さえも気を付けたり自粛したりしている中で、大切な人が遠方に住んでいるとなかなか思い切った行動が出来ません。
「ちょっとくらい大丈夫だろう」「自分は大丈夫だろう」というところからコロナ感染が広がるケースもあちらこちらで見受けられ、そのたびに世間の視線が厳しくなるのを感じます。
本当に息苦しい世の中になってしまったと言わずにはいられません。

 

私もこの文章を打ちながら、この話には「答え」などないと締めの言葉を迷っています。
「ワクチンを早く接種して三密を守れば、問題なし!だから、ぜひ会いたい人に会いに行くべきだ!!!」なんて言いきれれば良いのですが、とても言い切れるものではないなと思っています。

 

難しいね、ほんと。

 

それでも。

 

 

年内に一度、おばあちゃんの顔を見てやってくれ、と言った父。

長男の夏休みを待って私たちが帰り、弟も仕事を調整して帰ってきて、数年ぶりに家族が集まって。

皆が仕事のお休みであるお盆の最後の日、天国に行ったおばあちゃん。

皆に会いたかったのかなぁ。皆を待ってたのかなぁ。

間に合ってよかった。

誰にでも優しくて聡明だったおばあちゃん。今までありがとう。

やっと呼吸器もなく安らかで綺麗な顔を見ることが出来た。待っていてくれてありがとう。

 

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